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 令和7年を迎えました。冬季休業期間も終わり生徒たちが学校に戻ってきました。実りある総仕上げの3学期を過ごしたいと思います。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。。PTA会員ページに、PTA広報誌「高松 第173号」を掲載しました。また、「標準服リサイクルのお知らせ」をアップしています。ご覧ください。

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6f9c5f692f87ccab9388136047a8771a_t 令和6年度_年間行事予定 〔令和6年4月掲載〕を公開しました。

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学校ブログ

〔blog〕 高松中学校_史跡・旧跡②

2020年5月1日 12時00分
大石良雄)十六人忠烈の跡
 都内には忠臣蔵で有名な赤穂事件にまつわる旧跡がいくつかありますが、この旧跡もその中の一つです。赤穂浪士の中で、大石内蔵助良雄を含む17名が切腹をした場所と伝えられています。

 元禄14年(1701)の江戸城松之廊下の刃傷事件に端を発した赤穂事件は、翌15年12月、吉良邸討ち入りという事件に発展します。吉良上野介を討ち取った大石内蔵助一行46名(四十七士のひとり寺坂吉衛門は、途中で姿を消しています。)は、泉岳寺にある主君浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えた後、幕府の命により細川家を含む4家にそれぞれ預けられました。大石内蔵助ら17名を預かった細川家は、高輪の下屋敷にて彼らを丁重に扱ったと記録に残されています。元禄16年(1703)2月4日、幕府の命が下り、同日中に全員が預けられた先で切腹をしました。切腹の後、46人の遺骸は主君と同じ泉岳寺に送られ、埋葬されました。

 大石内蔵助らが切腹をしたかつての広大な細川家高輪下屋敷の敷地は、現在、高松中学校などになっていますが、細川家の屋敷跡の一部が塀に囲まれて残されており、往時をしのばせます。



 

血洗の池
高松中学校の校地内にある『血洗の池』。この池は、大石内蔵助等数名が切腹した後、その介錯した刀を洗った池と言われています。池の横に石の丸い枠があるのですが、これは水野監物邸で切腹した赤穂浪士の身体を清めた井戸の枠がこちらに移されたものだそうです。また、二つ石像は、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったものと伝えられています。





 

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〔生徒・保護者の皆様〕 3月17日(木)に挙行した『第72回_卒業式』の合唱を在校生ページに掲載しました。〘令和5年3月23日〙

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