〔blog〕 今日の部活動
2020年8月5日 15時00分午前中、ガーデニング部が集まり、夏野菜を植えある畑〔花壇〕の草むしりや整備を行っていました。
また、熱中症対策の一つとして、企業から学校にいただいた『塩分チャージタブレッツ』を部活の始まる時に配っています。
午前中、ガーデニング部が集まり、夏野菜を植えある畑〔花壇〕の草むしりや整備を行っていました。
また、熱中症対策の一つとして、企業から学校にいただいた『塩分チャージタブレッツ』を部活の始まる時に配っています。
今週は、全学年「三者面談期間」です。保護者の皆さまには、暑い中、ご協力いただきありがとうございます。各教室で行われている三者面談では、飛沫飛散防止アクリル板を用意し、一定の距離を保つとともに換気にも気を付け実施しています。
★今、正面玄関に設置されている『デジタルサイネージ』で、『高松中学校_学校紹介2020』を流しています。5分程度の映像ですので、ご来校の際にご覧ください。
今年は梅雨の長雨で、これまで日照時間がとても短かったため、緑のカーテン〔ゴーヤ〕の生育があまりよくありません。梅雨も明け、これから晴れの日が続いていくので、どんどん伸びてくれるとよいのですが。
正門横に植えてある「ザクロ」の花が咲き、実も生りはじめています。
★『血洗の池』のメダカが増え始めていました。
今日から8月7日(金)まで、「三者面談期間」です。
夏休みの部活動も、熱中症予防に注意しながら熱心に行われていました。
7月31日(金)〔1学期_終業式〕の放課後、鉢に植えられていた「アオギリ」を、図書委員が、正門横の芝生に植え替えてくれました。
被爆アオギリ☚クリックして、ご覧ください。
保護者の皆様、明日からの三者面談、よろしくお願いします。
ご来校の際には、用務さんが作ってくれた『高松交流ガーデンのアマビエ』をご覧ください。
今日は午前中は、通常授業。午後は、全員で大掃除を行った後、校内放送で終業式が行われました。明日から8月24日(月)まで、夏休みです。
◎放送で行われた終業式。校長先生から「いよいよ梅雨も明け、暑い日が続きそうです。まずは、一人ひとりが自分自身の健康面に気を付けてください。そして、夏休みは、自分で自分の生活を決めることのできる、貴重な期間です。1日1日を大切に積み上げて、二学期を迎えましょう。」と話がありました。
〈本日のメニュー〉
・ターメリックライス ・ごぼう入りドライカレー
・じゃこサラダ ・キャロットゼリー
献立ひとくちメモ_7月31日(金)
★ランチルームの入り口に、これまで学校図書館に置かれてあった『冬瓜(とうがん)』を切って、最後の展示が行われました。
今日が1学期、最後の授業日です。
〔1年生〕…1組_社会 2組_国語 3組_音楽
〔2年生〕…1組_理科 2・3組_保健体育
〔3年生〕…1組_数学〚習熟の程度に応じた少人数授業 1クラス2展開〛 2・3組_英語
豪と比べると校則が厳しい 中学生 〇〇〇〇 15歳 日本の公立中学校は校則が厳しすぎると思う。私がそう思い始めたのは昨夏に海外派遣でオーストラリアの学校に通ってからだ。同国の学校は、スマホも、授業中に水を飲むのも、休み時間にお菓子を食べるのもOK。校則は緩い。でも学生はきちんと授業を受け、進んで勉強している。学校では学ぶことができれば、他は自由でもいいのでは。 他にも、制服はポロシャツしか決まっておらず、アクセサリーも自由で、自分らしさを表現できる。自分らしさの表現は将来にも役立つ。大人になって社会に出ると、オリジナリティーが求められる。それを高めるためにも、学生時代から自分らしさを見つけ、表現する方がよいと思う。 |
7月30日は、新美南吉氏の誕生日のことから、新美さんの絵本を集めたコーナーができています。
〈本日のメニュー〉
・ご飯 ・春巻き
・もやしと小松菜のナルム
献立ひとくちメモ_7月30日(木)
〔1年生〕…1組_理科 2組_国語 3組_社会
〔2年生〕…1組_英語〚少人数授業 1クラス2展開〛 2・3組_数学〚習熟の程度に応じた少人数授業 2クラス3展開〛
〔3年生〕…1組_理科 2組_社会 3組_国語
3年生のフロアには、進路関係のポスター・資料等が増え始めてきました。
★偶然起きた、奇跡の出来事★
3年生の男子生徒が教えてくれました。
「命のビザ」とは、第二次世界大戦中、リトアニア・カウナス日本領事館の杉原千畝領事代理によって、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人難民に発給された日本通過ビザをいいます。
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連のポーランド侵攻により同国が分割される中、中立国だった隣国のリトアニアへユダヤ人は避難民として逃げ込みました。
しかし、リトアニアもソ連併合が確実となり、彼らにはもはや日本通過ビザを得て、第三国へ再び逃れる道しか残されていません。1940年7月18日、ユダヤ人難民がビザを求め領事館へ押し寄せます。杉原は本国へ大量のビザ発給を打診しますが、本省からの回答はいずれもビザ発給の拒否でした。彼は悩み苦しんだ末、良心に従い、本国の命に反して独断でビザ発給の道を選択します。それは、人道・博愛精神に基づく「命のビザ」発給と言う大きな決断でした。